小林秀雄(一九〇二~八三年)は誰でも知っている有名な批評家ですが、具体的になにをやった人なのかはあまり知られていないのではないでしょうか?
かなりの読書家でも、「そういえば昔『考えるヒント』を読んだなあ」という程度の人は多い。
乱暴を承知で小林の仕事を三行にまとめるとこうなります。
一、われわれ近代人は目の前にあるものが見えなくなってしまっている。
二、だから世界も歪んで見える。
三、そこでこの問題の仕組みを批評により明らかにする。
本書の目的も同じです。
小林の仕事を振り返ることで、「世界」について考えることです。
目の前にある石ころが見えなければ、つまずいて、転んでしまう。
あらゆる選択を間違えてしまう。
結局何もわからずに一生を終えることになる。
一方、小林の目は見えすぎるほど見えていました。
小林はそんな自分の目が不思議で仕方がなかった。
だから、自分と同じようにいろいろなものが見えてしまう人たちのことが気になった。
小林の批評の対象は「ものが見えていた」人たちです。
詩人のアルチュール・ランボー(一八五四~九一年)は、普通の人間には見えないものを「見て」しまった。
作曲家のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(一七五六~九一年)は、普通の人間には聞こえない音を「聞いて」しまった。
画家のフィンセント・ファン・ゴッホ(一八五三~九〇年)やクロード・モネ(一八四〇~一九二六年)は、「見た」ものをそのまま描いた。
哲学者のアンリ・ベルグソン(一八五九~一九四一年)や国学者の本居宣長(一七三〇~一八〇一年)は、言葉の背後にある広大な世界を凝視した。
小林は近代の構造により覆い隠された領域を批評の対象としました。
だから、われわれ近代人には小林の仕事が「見えて」こないのでしょう。
小説家の三島由紀夫(一九二五~七〇年)は小林の思想の真髄を正確に理解し、こう評しました。
小林は近代の仕組みに気付いていた。
われわれは病んだ世界、転倒した世界に住んでいる。
だから、もう一度、常識を取り戻さなければならない。
「近代的先入観」とはなにか?
「近代精神の最奥の暗所」とはなにか?
小林はどのような方法でそこに素足で踏み込んだのか?
小林の思考をきちんと追えば、現在のわが国が抱えている問題もクリアに理解できるようになります。
私はすでに近代は最終段階に突入したと判断しています。
こうした混乱期において正気を維持するためには、われわれは小林からスタートしなければなりません。
