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FEATURED PICKS 02

腐り果てた日本を読み解く10冊

害虫駆除は、まず発生源の特定から始まる。日本はどこから腐り始め、害虫が湧くようになったのか?
大衆の反逆
大衆の反逆
大衆論の名著。

「大衆」とは、わが国で「大衆居酒屋」といった感じで使われるような庶民層や貧困層を指すものではない。それは、労働者でも下層民でもない。「大衆」とは近代化により前近代的な共同体から切り離されることにより発生した「近代特有のメンタリティーを持つ人々」のことだ。階級的序列と異なるどころか、その正反対で階級的序列が失われた社会において発生したものである。

 オルテガは端的に定義する。

大衆とは、善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自らは「すべての人」と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである。
人間を最も根本的に分類すれば、次の二つのタイプに分けることができる。第一は、自分に多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々であり、第二は、自分に対してなんらの特別な要求を持たない人々、生きるということが自分の既存の姿の瞬間的連続以外のなにものでもなく、したがって自己完成への努力をしない人々、つまり風のまにまに漂う浮標のような人々である。
したがって、社会を大衆と優れた少数者に分けるのは、社会階級による分類ではなく、人間の種類による分類なのであり、上層階級と下層階級という階級的序列とは一致しえないのである。

大衆は自分で価値判断することを恐れる。そして大多数の判断に身をゆだねる。それにより、さらに社会の「大衆性」は高まっていく。オルテガはこうした流れに警鐘を鳴らした。

問題は右でも左でもなく下である
問題は右でも左でもなく下である
右翼の底辺「右下」もあれば、左翼の下層「左下」もある。
「右を向いても左を見てもバカと阿呆の絡み合い」(鶴田浩二「傷だらけの人生」)

私はファッション右翼やコスプレ右翼、街宣右翼は大嫌いだが、質の高い右翼思想には常に敬意を払ってきた。また、花畑左翼、市民活動家は大嫌いだが、質の高い左翼思想には大きな影響を受けた。

 私は性格的にも思想的にも保守思想(すなわち近代的理念・理想・理性・合理主義に対する懐疑的な姿勢)に馴染んできたので、右翼や左翼などの理想主義者とは相容れないところがある。未来にせよ過去にせよ、理想郷を設定するのが不可能な時代に生きていることを自覚できない時点で、やはりそれは弱者の思想だと思う。

 その前提の上で、半ば自嘲気味に、あるいは戦略的に右や左を演じて見せる人々は面白いし、場合によっては知的な刺戟を受けることもある。

 本書で扱うのは彼らではない。
「下」である。

 右翼の底辺「右下」もあれば、左翼の下層「左下」もある。

 今の政治は、マーケティングにより「下」の気分を探り、プロパガンダで「下」を動かすことで成り立っている。この手の政治家は、「風が吹く」のを待ち、問題が発覚したら「嵐が過ぎ去る」まで口をつぐむ。

 議論を軽視するのは、それが世の中を動かさないどころか、墓穴を掘ることを熟知しているからだ。

 大衆の熱狂だけが政治を動かすことができるという深い確信。

 バカがバカを支持する今の世の中を見れば、それは正しいのだろう。

ミシマの警告
ミシマの警告
三島は民族主義や国家主義に対する警戒を怠らなかった。

現在、わが国で「保守」を自称しているような連中の多くは、三島がもっとも忌み嫌った、唾棄すべき連中である。

 三島は民族主義や国家主義に対する警戒を怠らなかった。
 反共や復古主義の欺瞞も嫌った。
 愛国教育や国粋主義も嫌った。
 昭和の軍国主義を批判し、徴兵制と核武装を否定した。

 では、三島の敵はなにか?
三島はどのような立場において、なにを守ろうとしたのか?
 保守の立場において、議会主義を守ろうとしたのだ。
 それでは三島が最大限に警戒すべきと説いたのはなにか?
 全体主義である。
 三島は右と左の両方から発生する全体主義に警鐘を鳴らした。

この「妥協」を旨とする純技術的政治制度は、理想主義と指導者を欠く欠点を有するが、言論の自由を守るには最適であり、これのみが、言論統制・秘密警察・強制収容所を必然的に随伴する全体主義に対抗しうるからである。「反革命宣言」

 三島が「言論の自由」を重視したのは、彼が自由主義者だからではない。
 保守は「主義」など信仰しない。
 「言葉」を守ることこそが、国を守ることにつながるからだ。
「愛国」を声高に語る者ほど国を売る――その逆説を、三島は見抜いていた。

ニッポンを蝕む全体主義
ニッポンを蝕む全体主義
全体主義は近代特有の病である。

ステレオタイプの「全体主義観」にしがみいて現状を批判するだけでは、病の進行を抑えるどころか、逆にこじらせ重症化する恐れもある。実際、いろいろこじらせた人たちが社会の一線で大きな口を叩いているのが現在だ。

全体主義(totalitarianism)は個人より全体を優先させるという考え方である。
 これは近代特有の病だ。
「じゃあ、前近代に全体主義はなかったのか?」と聞かれたら、「なかった」と答えるしかない。
 全体主義は専制(恐怖に基づく恣意的な権力の行使)や単なる暴政とも違う。

 サルがかかる病気を治すためには、サルについて知る必要がある。それと同じで、近代特有の病について考えるためには、近代人について知る必要がある。

なお、全体主義は決まった形で表れるわけではない。イタリアのファシズム、ドイツのナチズム、ソ連のスターリズムといったものは全体主義の症例のひとつだが、それぞれ内容は異なる。

日本崩壊 百の兆候
日本崩壊 百の兆候
カウントダウンは、もう始まっている。

これまで何度も書いてきたことなので、手短に示すが、三つのメルクマールがある。

一つは二〇一五年の安全保証関連法制定の際、国を運営する手続が破壊されたことだ。安倍晋三は、お仲間を集めて有識者懇談会をつくり、そこで集団的自衛権を行使できるようにお膳立てをしてもらってから閣議決定し、嘘とデマを社会に投下し、内閣法制局長官の首をすげ替え、アメリカで勝手に約束してきて、最後に国会に諮り、強行採決した。さらには首相補佐官の礒崎陽輔が「法的安定性は関係ない」と言い出した。発言を撤回したとはいえ、これは近代国家としての建前をかなぐり捨てたということである。

二つ目は、安倍政権下で省庁をまたがる大規模な不正が発覚し、責任がうやむやになっていることだ。財務省の公文書改竄、防衛省の日報隠蔽、厚生労働省のデータ捏造、法務省のデータごまかし、国土交通省の基幹統計の書き換え……。国の信頼は完全に破壊された。

三つ目は、二〇一七年、防衛相の稲田朋美が、「(南スーダンにおける自衛隊の活動について)事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法九条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、(国会では)武力衝突という言葉を使っている」と発言したことだ。要するに国が憲法を無視していることを公言したわけだ。

これを正常な近代国家と考えるのは無理がある。

維新観察記
維新観察記
第三の選択肢は、幻想である。

維新の会は大阪で発生した大衆運動である。それは決して新しい現象などではない。過去に繰り返されてきた近代特有の病である。

 維新は嘘とデマにより大衆を騙すことにより拡大してきた。吉村洋文や馬場伸幸ら維新の構成員がこれまで垂れ流してきた「私立高校の完全無償化を実現した」というのも完全な嘘、デマである。吉村は、昔の大阪市は大赤字でそれを立て直したのが維新市政だったという趣旨の発言も繰り返してきたが、これも大嘘。大阪市のホームページには二一年度一般会計決算について、《平成元年度以降三三年連続の黒字となりました》とある。二二年の参院選の政見放送で松井一郎は大阪の私立高校の入学金が無償である旨の発言をしたが、これも完全なデマだった。

 要するに維新は、デマゴーグの集団、詐欺師の集団、反社会勢力である。これは批判でも悪口でもない。客観的事実だ。

こんな人に「既存政党よりマシ」という消去法だけで投票してきた人に。
安倍晋三の正体
安倍晋三の正体
特定のイデオロギーを通せば、目の前で発生している現実でさえ、見えなくなる。

本書の目的は、検証可能な事実を基に安倍という人間の本質を明らかにすることである。ひいては安倍を担ぎ上げてきたわれわれの社会の病を炙り出すことだ。

安倍個人を批判したり揶揄するだけでは意味がない。これまで私は何度も例に出してきたが、ニーチェは『この人を見よ』でこう述べる。

ただ私は個人を強力な拡大鏡として利用するだけだ。危機状態というものは広く行きわたっていてもこっそりしのび歩くのでなかなかつかまらない。ところが個人という拡大鏡を使うとこれがよく見えて来るのである
またこれと同じ意味において私はヴァーグナーを攻撃した。もっと正確に言うと、すれっからしの人を豊かな人と取り違え、もうろくした老いぼれを偉人と取り違えているドイツ「文化」の虚偽、その本能−雑種性を私は攻撃した

風邪をひいている人間を見ることはできても「風邪自体」は見ることができない。それと同じで、安倍という人物を通して、わが国の「危機状況」が見えてくる。

こんな人に「あの政権は特殊な例外だった」と総括して済ませたい人に。
国賊論
国賊論
誰が日本を壊し、誰が日本を守ろうとしているのか。
勝ったのは心理学(テクノロジー)であり
負けたのは人間である。

 「国賊」とはなにか?
 精選版日本国語大辞典によると、《国を乱し、世に害を与える者。国家に仇(あだ)する者。国敵》とある。
 安倍晋三は、国を乱し、世に害を与えてきた。文字通り、定義通りの国賊である。
 安保法制騒動では憲法破壊に手を染め、しまいには首相補佐官が「法的安定性は関係ない」と言い出した。北方領土の主権は棚上げされ、不平等条約締結に邁進。国のかたちを変えてしまう移民政策を嘘とデマで押し通し、森友事件における財務省の公文書改竄、南スーダンPKOにおける防衛省の日報隠蔽、裁量労働制における厚生労働省のデータ捏造など、一連の「安倍事件」で国の信頼性を完全に破壊した。
 安倍は、水道事業の民営化や放送局の外資規制の撤廃をもくろみ、皇室に嫌がらせを続け、「桜を見る会」問題では徹底的に証拠隠滅を図った。
 要するに悪党が総理大臣をやっていたのだ。この究極の売国奴・国賊を支えてきたのが産経新聞をはじめとする安倍礼賛メディアであり、カルトや政商、「保守」を自称する言論人だった。「桜を見る会」には、統一教会の関係者、悪徳マルチ商法の「ジャパンライフ」会長、反社会的勢力のメンバー、半グレ組織のトップらが呼ばれていたが、そこには安倍とその周辺による国家の私物化が象徴的に表れていた。

こんな人に善悪の基準が溶けてしまった論壇に苛立っている人に。
自民党の大罪
自民党の大罪
なぜ自民党は急速に劣化したのか?

かつての自民党と現在の自民党はまったく別物である。看板が同じというだけで、内容はまったく異なる。

では、自民党はいつ変わったのか?平成元(一九八九)年である。

よって本書では、平成元年に何が発生し、それ以降、自民党が劣化し、日本が三流国に転落していく経緯を示す。その際、個別の政治家を描写することにより、自民党の本質を炙り出すという手法をとった。
自民党の劣化は国の凋落と一致する。

こんな人に「保守=自民党」という等式をまだ信じている人に。
高市早苗という病
高市早苗という病
総理の顔をした、詐欺師。

高市にとっては安倍や統一教会すら、利用価値のある小道具に過ぎない。「私は穏健保守か保守中道」などと言っているが、これもネトウヨなどの情報弱者を騙すための方便に過ぎず、高市が保守思想を理解している形跡はない。外国メディアからは「極右」と評されることも多いが、右翼ですらない。

右翼っぽい言動に酔い、それを演じているだけで、しいて言えば、似非保守、似非右翼だ。

高市に一貫しているのは、「輝く私を見て」というメッセージである。自分のことが好きで好きでたまらない。肥大した承認欲求、上昇志向、虚言癖……。高市の過去を検証して見えてくるのは、一九八〇年代の日本のテレビ画面を泳ぎ回っていた一人のタレントが、頭が空っぽのまま、権力への嗅覚だけでついには総理大臣に成り上がるプロセスである。

安倍がそうであったように、高市もまた日本の病が集約され、表面化したものだ。

こんな人に「では今、何が起きているのか」を知りたくなった人に。
CLOSING

割れ窓理論という言葉がある。蟻の一穴という言葉もある。
高市早苗のようなものは、いきなり湧いて出るのではない。
政治の腐敗、そして、オルテガが百年近く前に警告した「大衆」の暴走が、国を破壊したのである。飢饉が原因の暴動の際に、パン屋を襲撃する暴徒のように。

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